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Profile

 36歳現在
 
 
19791125日:生誕
 
小学校2年生
大雨の日に大量の水が流れる側溝に足を突っ込み、足に当たる水圧が楽しい!!とか言ってたらそのまま70m程流され、電気屋のおじさんに奇跡的に助けられる。救急車デビュー。このころから運がいい。
 
中学校
冬でも家の中ではパンツ一丁であることにプライドを持っていた。
 
高校
人付き合いが苦手だと感じ始める。友達はいたけど親友はいなかった。
 
大学1回生
毎日3本線ジャージで登校する。ボーダーのニットが世界一オシャレだと信じきっていた。当然女友達はほぼ皆無。
 
大学2回生
友人数人とバレーボールサークル「茶畑」を作る。ネーミングセンスはいかがなものかと思うが、名付け親は僕だったりもする。
 
大学3回生
他大学の好きな女の子が所属していた写真部の展示に誘われ、展示されていたモノクロ写真に感銘を受ける。その子の気を引くためではないと言えば嘘になるが、まあとにかく写真を始める。
 
大学4回生の春
唐突に城陽市から亀岡市の大学まで夜中に一人で7時間かけて歩いてみる。友達に気持ち悪がられる。
 
大学4回生の夏休み
「俺はお前たちとは違うから就職活動などはせん」いろいろ勘違いした学生だったので、手元にあったお金で初めての海外旅行に一人で行く。ネパールインド45日間の旅。現地で子供の写真を撮るのにハマる。この旅で卒業後に留学することを決める。
 
大学4回生の冬
大学のホールで夏休みに行った旅行の子供写真で初の個展を開く。
 
22歳
留学資金を貯めるため、当時の彼女をほったらかして、ひたすらバイトに精を出す。1年で240万貯める(年金と国保は親のスネをかじる)。
 
23歳
学費のことだけを考えた結果、一番安いという理由で何も調べずにオーストラリアのタスマニアに語学留学する。現地に着いてタスマニアには自然しかないことを知りビビる。
 
24歳
タスマニアの巻き寿司屋で朝5時から踊りながら寿司を巻き、8時半から授業に出る忙しい学生生活を送る。語学学校卒業後は5ヶ月かけて東南アジアを周りながら帰国する。チベットで大冒険をする。
 
25歳の春
「物作り」、「人のためになる仕事」、「英語を使う」のうち2つの条件が揃う職を探した結果、1年以上も留学したのにあっさり英語を捨てて、義手製造会社に就職する。
 
27歳
この辺りからパニック障害になる(現在は完治)。電車、飛行機、美容室、渋滞など逃げ場のないところに恐怖を感じるようになる。とか言いながら海外一人旅は薬を服用しながら続けたりもする。我ながらあっぱれ。
 
28歳
旅写真をポストカードにして売り始めるが楽しかったのは最初だけで2年ほどで飽きる。
 
34歳
写真家のみやび(現在の妻)と出会う。
 
35歳夏頃
この仕事定年までとか考えられへん!!みやびの影響を多大に受け、退職を決意する。
 
35歳
仕事を辞めて晴れて自由を手にしたタケシ君は「この1年は遊ぶ!!」と決め、みやびを日本に置いてあてもなく3ヶ月アメリカに行く。サンフランシスコのRaykoという写真センターで写真留学をする。九州、仙台、東京、茨城、徳島、北海道、アメリカ、ドイツ、アイスランドと旅行に勤しむ。
 
36歳の12月
1年遊びきった末、将来の展望が何も見えないことに一瞬めっちゃ焦る。
 
36歳の1月
「やはりここは好きを仕事に、か...」とポツリ呟く。
 
36歳の2月
正式にフォトグラファーとして開業。運だけでなんだかんだ仕事にありつく。何の人脈も経験もない人間がいきなりフリーランスになったので、これはみんな興味があるだろうと毎月の売り上げを公開する。まあまあ恥ずかしかったりもするがこの時ばかりとブログのアクセス数は急上昇。
 
36歳の4月
自分を売り出す方法を模索し、かさこ塾に出会い、セルフブランディングを学ぶ。
 
36歳の5月
彼女のお義父さんに「近々特に記念日が無いならゴーゴーの日でいいんじゃない?」と言われ、5/5に写真家のむらいみやびと結婚する。秋月 雅という素晴らしい名前をプレゼントする。
 
 
 結婚記念写真。宝ヶ池公園にて。
 
 
36歳の7月
会社設立予定。社名は「株式会社Harvest」。命名は心屋仁之助氏。
 
36歳の9月
京都は北白川のスタジオでHANANINGEN KYOTOをスタートする予定。
 
 HANANINGENで発芽
 
 嫁と共に発芽
 
 
プロフィールの内容はちょいちょい変更しまっす( ´ ▽ ` )ノ